許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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散々たる

「敬愛なるベートーヴェン」という映画の邦題がありました。注意をひくため文法上の誤りをわざと犯した、とみることも可能ではあります。ただ、あまり巧みな広報戦術とは思えません。印象に残ればなんでもよいわけではないでしょう。与えたのが悪い印象では、映画の鑑賞や商品の購入につながらない可能性があるからです。
形容動詞の活用(口語)では、基本形が語幹+「だ」となりますが、「敬愛だ」という形容動詞はありません(名詞「敬愛」+助動詞「だ」なら、「この感情は敬愛だ」など、文脈によってはあり得ます)。
また、名詞「敬愛」は、「尊敬しつつ親しみをもつこと」(新潮国語辞典新装改訂版)であって、人の行為を表す語です。「事物の性質や状態などを表す語」(Yahoo!辞書:大辞泉「形容動詞」の説明より)ではないので、サ行変格活用動詞「敬愛する」の語幹にはなっても形容動詞の語幹にはなりません。
(「親愛」ならば、「人に親しみと愛情をもっていること。また、そのさま」〈Yahoo!辞書:大辞泉〉ですから、行為でなく状態を表します。「もつ」と「もっている」の違いを理解しましょう)


形容動詞の文語活用はナリ活用とタリ活用の2種類です。口語でも主に文章語として連体形が使われます。
ナリ活用は「に+あり」が変化したものです。「静かなり」ならば、「静かに+あり」で、静かにしているといった意です。
同様にタリ活用は「と+あり」からきていて、「堂々たり」ならば堂々としているようすの形容です。
ナリ活用かタリ活用かは語によって異なります(どちらの活用かは辞書に載っています)。形容動詞「散々」は、口語では「散々だろ-散々だっ/で/に-散々だ-散々な-散々なら-―」、文語では「散々なら-散々なり/に-散々なり-散々なる-散々なれ-散々なれ」と活用します(ナリ活用)。TVなどでよく「散々たる」というのを耳にしますが、「惨憺たる」と混同したのでしょうか。
文語活用の連体形「散々なる」は、現在ではあまり用いられません。「物事の結果や状態がひどく悪くて、目も当てられないさま」(Yahoo!辞書:大辞泉「散々」の説明より)を口語活用の連体形「散々な」でなく文語調で表したい場合は、「いたましくて見るに忍びないさま。見るも無残なさま」(Yahoo!辞書:大辞泉「惨憺」の説明より)を意味する「惨憺たる」を使いましょう。



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