許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

(ら)れることができる

「実戦でしか感じ得られない」(週刊ベースボール8.27号)――この文の誤りはなんでしょうか。
「得る」には「できる」「可能性がある」の意味もあり、補助動詞的に動詞連用形につく場合はこの意です。また、助動詞「れる/られる」は可能も意味します。
つまり、「感じ得ない」または「感じられない」とすべきところを、同じ意味のことばを重複して用いたことが誤りでした。



可能表現の重複を昨今よく見聞きします。最も多いのは「(ら)れることができる」です。
可能の意の「れる/られる」+「できる」は誤りですから、「未然形+(ら)れる」か「終止形+ことができる」のどちらかにしましょう。
× 感じられることができる
○ 感じられる
○ 感じることができる



同様に、可能動詞に可能の意の「れる/られる」や「ことができる」をつけてもいけません。
可能動詞とは、五(四)段活用動詞を下一段活用(命令形はありません)させて可能の意を示すものです。五段活用動詞の場合、助動詞「れる/られる」を使った可能表現でなく可能動詞を用いるのがふつうです。
× 読められる
× 読めることができる
○ 読める
△ 読まれる


「着れる」「見れる」といったいわゆる「ら抜きことば」は、上一段活用動詞を下一段活用させて可能動詞化したともいえます。「着れろ」「見れろ」などの命令形はありませんし。それでもまだ一般に許容された表現ではないと思われますので、改まった文章で使うのは避けましょう。
「れる」と「られる」の使い分けとしては、五段活用動詞・サ行変格活用動詞の未然形につくのが「れる」、それ以外の動詞の未然形につくのが「られる」です。


なお、上一段活用動詞「見る」と下一段活用動詞「見える」は別のことばです(文語では「見る」と「見ゆ」)。「見る」は他動詞、「見える」は自動詞であり、「見える」は「見る」の可能動詞ではありません。「見る」の可能表現は「見られる」です。




附記。今週のネタ元も週ベですが、「感じ得られない」の次の段落には「選手の意見を最大限尊重させるつもりだ」。これについては後日。