動詞
2年連続の開幕メジャーに「甘んじることなく、しっかり準備を進めていきたい」と気を緩めることはない。 (4月1日付日刊スポーツ) 「甘んじる」(「甘んずる」の上一段活用化)の意味は、「1 与えられたものをそのまま受け入れる。しかたがないと思ってがま…
「ら抜きことば」が問題視されるようになってずいぶん経ちます。 第20期国語審議会(1995年)の審議経過報告「新しい時代に応じた国語施策について」に「この言い方は現時点ではなお共通語においては誤りとされ、少なくとも新聞等ではほとんど用いられていな…
先日、校閲中に「兼ね合わせる」なることばにお目にかかりました。見聞きしたことがなかったので辞書をひいてみましたが「兼ね合わせる」は載っていません。 Googleで検索してみるとかなりの件数がヒットします。どうも、「兼ね備える」(「二つ以上のものを…
「補助動詞」とは、「動詞が本来の意味と独立性を失って、他の語の下に付いて付属的な意味(断定・敬意・動作の様態など)を添えるだけのもの」(新潮国語辞典新装改訂版)です。 例として、「○○である」の「ある」、「○○している」の「いる」、「○○してくだ…
日本語にも自動詞/他動詞の区別はあります。 厳密な定義にまでふみこむと複雑な話になりますが、通常は辞書で調べればよいでしょう。たとえば「自五」とあったら五段活用自動詞、「他下一」なら下一段活用他動詞です。 辞書によっては自動詞/他動詞の区別…
先日シオドア・スタージョンの『コスミック・レイプ』(サンリオSF文庫)1980年発行の初版を3,150円で買いまして。その訳者あとがきに、「輩出する」が自動詞で使われておりました。 「○○が輩出する」の用法は現代ではすっかり廃れたように思われ、わたしも…
先日TVニュースの天気予報で、気象予報士が「今日はよく流氷が見られました」と言ったあと、アナウンサーがさりげなく「流氷が見えましたね」と言い直していました。 「見える」は、文語では「見ゆ」、「見る」+自発の助動詞「ゆ」です。口語では自発の助動…
「繙く」は、「(古くは書物は巻き物であって、紐で結んであったことから)書物を読む」(新潮国語辞典新装改訂版)です。 語源を知れば誤用の余地がないことばなのですが、いまや帙(「書物のいたみを防ぐために包むおおい」〈同〉。これも紐で閉じてあった…
「図る」のゆれについては過去にも書きましたが、先日NHKのニュースで「自殺を図ろうとした」と言っていたため、再度とりあげます。 従来の日本語ではふつう「図ろうとした」とはいいません。これはどういう意味なのでしょう。 「図る」はこの場合「企てる。…
「亡くなる」は「死ぬ」の同義語ですが、現代語では尊敬語として使われるのが一般的でした。源氏物語では「父の大納言は亡くなりて」と使っていても、現代で身内の不幸に「父が亡くなりました」とは言いにくく、「父を亡くしました」と表現するのがふつうだ…
役人と学者が日本語を乱すとの説があります。閉鎖的な世界で使用している言葉をマスコミなどを通じて全国に広めるからというのです。 「図るため」もそんな言葉の一つかもしれません。「図る」はそれだけで企てるなどの意味がありますから、「解決を図るため…
学校で国文法を教わったことのない人が存外に多いようです。英語文法や文語文法は習っても、口語文法の授業があった記憶はない。いわゆる学校文法には問題も多々指摘されており、かといって万人の認める口語文法は今のところ存在しないため、教えるべき国文…