許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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漠然と/漫然と

「漠然と勉強しても身にならない」などという表現をよく耳にします。当初は若者ことばかと思っていましたが、昨今では大人もごくふつうに使い、かなり許容された段階のようです。
「漠然」は「ぼんやりしてはっきりせぬさま。とりとめのないさま」(広辞苑第二版補訂版)、「漫然」は「心をとめて深く考えず、またはっきりとした目的や意識を持たぬさま。とりとめのないさま。しまりのないさま」(同)です。
どちらも「とりとめのないさま」ではあるものの、「漠然」は「漠然とした不安」「漠然たる大海原」など正体がはっきりしないようすの形容、「漫然」ははっきり意識をもたないようすの形容であって、ニュアンスは異なります。
つまり、はっきりとした目的や意識をもって行うべき「勉強する」に係る形容動詞は、「漠然と」でなく「漫然と」になるはずなのです。
豊かな日本語を的確に使い分けて状況や感情にぴったり合った表現とするには、漫然とことばを用いるわけにはいきません。