許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

的を得る/当を得る

*2015年5月17日に全面改稿しました。


「得る」は日本語では「1 自分の手に入れる。2 (補助動詞的に用いて)できる。可能である。3 取り用いる。4 得意とする。5 理解する」(新潮国語辞典新装改訂版)です。
「的」は「1 弓・鉄砲などの練習の際に目標として立てるもの。2 目標。対象」(同)であり、射る/当てるもので得るものではありません。このため、「うまく目標に当てる。転じて、うまく要点をつかむ」(goo辞書:デジタル大辞泉)の意で用いるなら、「的を得る」でなく「的を射る」であるべきだと考えます。


ところで、「当を得る」は、「的を射る」の同義語ではありません。「当」は「道理にかなうこと」(新小辞林第二版)ですから、「当を得た話」は「筋の通った話」といった意味です。
「的を射た指摘」は文脈によらず意味が明確ですが、「的を射た話」となると使える状況が限られます。「的を射る」と「当を得る」、慣用句の使い分けも、豊かな日本語表現の一つです。



なお、「正鵠」は「1 的の、中心の黒点。2 急所。要点。正確」(新潮国語辞典新装改訂版)で要点も意味するので、日本語としては「正鵠を射る」とも「正鵠を得る」ともいえます。




ここでは語源にふれません。「的を得る誤用/正当論争」には距離を置きたく、いただいたコメントについてはノーコメントで。