許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

profession

先日、ある野球週刊誌に下記の誤変換がありました。
「家族を仙台から非難させた選手」
この雑誌、誤植には定評があり、いつもなら笑ってすませるところです。しかしこれにはひっかかりました。
「非難」はネガティブなニュアンスの言葉です。被災地から家族を避難させることを咎める人などいないのに、そうしたイメージを与えかねません。
同じ号のある球団代表の連載コラムは、大略「職業人は、自らの仕事を行って経済活動を停滞させないことで、間接的に被災地の復興に貢献する」という内容でした。
被災地の外に住む市民ができることは、資源を節約して少しでも多く被災地に振り向けられるようにする(西日本での節電も、発電に使われるエネルギーを東日本へ回すことにつながるかもしれません。買占めをしないことには直接的な効果があります)、募金、支援物資の提供、ボランティア活動などいろいろあります。さらに職業上の責務を果すことも重要でしょう。
校閲という仕事は、筆者の意図を正しく理解すると同時に、読者がどう理解するかを推測することが重要です。文法や用字用語に誤りがないかをチェックするだけではプロの仕事とはいえません。専門知識がない人がざっと読んだだけでも概略は理解できるように、論理構成の矛盾や誤解を生むおそれのある表現を指摘することこそが、職業人としての専門性を発揮すべき場と考えます。
情報技術の進歩等によりprofessionalとamateurの境が曖昧にはなっていますが、労働の対価を受けるだけがプロの定義ではないのですから、不特定多数の目にふれる文章を世に出す仕事に携わるからには一字一句も疎かにできないとあらためて気づかされたところです。


附記。わたしは、休業を余儀なくされる事業主、医療機器の使用に不安や不便を強いられる医療機関や在宅患者、エレベータが動かないと外出もできない高齢者etc.etc.が野球の試合をさせるために計画停電に協力してる訳じゃないと思うので、開幕延期と四月中の東京ドームでの試合開催回避には賛成です。そして、今から夏のこともちゃんと考えておかないとだ(プロ野球だけじゃなく)。