許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子(ネタバレ)

昨秋日本テレビ系列で放送していたドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」を校正者が観た感想、です。



ドラマならびに原作『校閲ガール』シリーズのネタバレを含みますのでご注意ください。



ドラマのあらすじ。
ファッション誌ラッシィ(とカナで書くと『幼年期の終り』のラシャヴェラクになってしまうな。正式表記は『Lassy』)の熱烈な愛読者で、『Lassy』の編集者を夢みて同誌を発行する出版社を大学卒業後も毎年受け続ける「スーパーポジティブ」な若い女性、河野悦子。略してコーエツ。『Lassy』編集部に空席はなく不採用の連続だったが、ずばぬけた観察眼(ファッション関係のみ)と気になったことはとことんまで調べずにいられない性分に校閲部長が校正者の資質を感じ、ついに採用される――校閲部員として。
『Lassy』のバックナンバーなら、各号の特集のみならず、連載コラムの内容まですべて記憶している悦子。しかし、ファッション以外には関心がなく雑誌も本も読まないので、難しい漢字や表現はちんぷんかんぷんだ。それでも、校閲部で実績を挙げて『Lassy』編集部へ異動しようと奮闘する。もともと何に対しても真摯にとりくむ性格で、事実確認のために小説の舞台へ足を運ぶことまでする。
全力投球のあまり騒動をひきおこすこともたびたびなのだが、恋人未満の作家兼モデルの幸人との恋の成就より担当業務を優先してしまうまっすぐな仕事ぶりが、毎回ハッピーエンディングをもたらす。


縁故入社でもない中途採用の未経験者が校閲部に配属される、というのはたしかに現実離れした設定です(原作では新卒採用)。が、「おもしろくするためのドラマのうそ」であって、許容範囲でしょう。あんなはでな校正者はいない!は、客観的な根拠を示さないかぎり、明言はできません。「超がつくほど個性的だけど愛すべき主人公」をよく表しており、めくじらをたてる問題ではないと思われます。
まぁ、担当編集者の指示もないのに校正者がかってに事実確認に外出することをくりかえしていたら、問題になりそうですけどね。交通費申請は通らんだろーなー。
ということで、原作のエピソードの再構成がうまいし恋愛ドラマとしてもかわいらしいと、毎週楽しんで観ていたのですが、だんだんひっかかりが多くて楽しめなくなりました。

ひっかかりの例。
・文芸において、用字や表現は作品の重要な要素。使い分けか不統一か判然としない場合にひかえめに疑問出しするならまだしも、一般的な表現じゃないからとエンピツ入れるのはいかがなものか(若者ことばが時代遅れだと指摘するのは、事実確認の範疇)。
・いくら現地の市民だろうが、だれともわからない人の発言を根拠に旅行ガイドのアップデートをするか……現実問題、ないとはいいきれないのだけれど、情報の正確性に自信をもって出版できないのでは。
・実務経験十数年の校正者が、時刻表ミステリで誤った時刻表が使われてるのに指摘しないのは、あり得ない。正しい時刻表では物語が成立しないから指摘できないと悩むって……。そんな回収確実なミス、特大付箋でも付けて指摘し、「ただし、正しい時刻表に基づくと、○○のため、物語に矛盾が生じます」とかなんとか書き添えねばならない。あとは編集者の仕事よ。

こうした、ドラマの本筋とは関係のないところにひっかかるようになっちゃったのは、原作のだいじな台詞が割愛されたあたりから。
人間は外見でなく内面で評価すべしという「常識」を承服しかねる悦子が、ならファッション業界も美容業界もいらない、文章がへたでも内容に誤りがあってもかまわないなら校閲なんていらない(大意)、と独白するんです。で、ああ校閲ってそういうことか、と、腰掛けのはずの仕事を新たな目でみる。第1作の肝腎要の場面です。
おしゃれな服や靴や化粧や髪型は文化。正確な事実の積み重ねを根拠として美しい文章を綴るのも文化。書きたいことを書きなぐる、のは文化じゃない。


紙に印刷されたインクという物品でなく本という作品を上梓するためには、出版社の片隅で黙々と赤ペンと黒鉛筆を走らせ、社外はもちろん、社内でも存在を忘れられがちな人々が必要だ。幸人の新作は、そんな「地味にスゴイ!」仕事人を紹介するノンフィクション。ドラマの後半、小説家としてゆきづまっていた彼は、「地味にスゴイ!」を取材することで作家としての輝きをとりもどします。そこでドラマタイトルが活きてくるわけですよね。なんだけど。
悦子は、こんなスゴイ!本を書く幸人くんてすてき! でも、正式に恋人同士になってしまうと(たぶん彼女の性格上)『Lassy』の編集者になるという夢を追えないから、恋愛はおあずけ、みたいな宣言をする。
あれ?
原作では、『Lassy』別冊編集部で短期間だけ編集者を務めた悦子が、自分は熱愛する『Lassy』にかかわりたい読者であって、雑誌制作がしたい編集者志望者ではないのだと気づきます。校閲部長が彼女に校正者の資質をみてとったのは正しかったのです。
仕事への憧れと適性はかならずしも一致しない、て結論も、お仕事ドラマとしてはアリだと思うんですけどね。「だめ、夢をあきらめちゃ!」じゃないとイカンのか。
で、それまで、細部にまで目のゆきとどく校閲を淡々とめだたずに(校閲がめだつのはミスをみのがしたときなので)こなしてきた先輩校閲部員たちが、地味な殻を破っていきいきと働き始める。……えーと、とつぜん「地味にスゴイ!」がどっかいっちゃったよーな。
「ぼくらは、クロコ/でも、ものづくりってそういうこと」(日本ガイシCMより)的な職人の矜持の話じゃなかったのか〜。
ちょっとあてが外れました。






いつもは大晦日に締のポストをするところ、ばたばたしてて年が明けてしまいました。2015年12月31日23時59分にリセットしたカウンターは、2017年1月2日19時20分には229232になっていました。
旧年中は、ほぼ開店休業blogをご覧くださいましてありがとうございます。
新年はもっと頻繁に記事を書きたく存じます。毎年ことばだけですが。
政治経済社会に山積する問題がすこしでも解決され、新年が佳い一年となりますよう。