許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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師弟は三世

先々週の週ベ5.20号で「師弟は三世」の「三世」に「さんせい」とルビ(ふりがな)がふられててあらあらと思ったら(「三世」はもちろん「さんせい」とも読むが、それは「ルパン三世」〈山田康雄さん、納谷悟朗さんの御冥福をお祈りします〉とか「父・子・孫の三世」〈この意では「さんぜ」とも読む〉とかのときで、「前世・現世・後世」を意味するときは「さんぜ」)、今週の6.3号で、件のルビがふられたページの筆者が下記のように釈明していた。


「『師弟は三世』という表現の『三世』の部分に『さんせい』とルビをふってしまったのはミステークもいいところだった。正しくは『さんぜ』。『ぜ』と書いたつもりなのだが、校正紙を見た印刷所の直しの係の人が、『ぜ』の濁音を示す部分が大き過ぎたことで『せい』と解釈してしまったらしい。おわびして訂正いたします」(『週刊ベースボール』6.3号「おんりい・いえすたでい 1枚の写真」)


週刊誌の進行はタイトなので、ひょっとしたら、この箇所は責了(「《「責任校了」の略》赤字の訂正は印刷所に責任をもたせて校正を終了すること」〈Yahoo!辞書:大辞泉〉)だった可能性もなくはないが、そうでなければミスの責任は「印刷所の直しの係の人」よりもこのページの担当編集者にある。通常は、印刷所(または印刷用のデータを制作するところ)で修正したものは、ちゃんと直っているかどうか編集者が確認するからだ。
とはいえ、「三世」は「さんぜ」とも読むという知識がなければ修正ミスにも気づけない。「デイヴィス=ラヴ三世(さんせい)」とかは耳にしても、「三世の縁」とか「三世の契り」なんて見たこともないだろうしなぁ。
それでも、「なんで『さんせい』とルビをふるのかな?」とのひっかかりがなかったのは悔まれるところ。
お坊さんでもなければ、「三世」と見ればまず「さんせい」と読むだろう。つまり、「さんせい」と読ませたいなら、ルビをふる必要はない。総ルビ本でもないかぎり、一般常識にない読み方をする漢字のみにルビをふるのがふつうだ(たとえば、上記の「後世」は「こうせい」と読むことが多いから「ごせ」とふる)。わざわざルビの指示をするということは、「さんせい」に見える手書きの赤字がじつは「さんせい」ではなく、「『三世』には『さんせい』以外の読み方があり、ここではそちらの読みがふさわしい」という可能性があるわけだ。
そこに気づいて辞書をひいておけば(読み方が判らなくて紙の辞書をひけなくたって、携帯電話で「師弟は三世」をぐぐれば出てくる)修正ミスをみつけられたはず。そうすれば、後日誌面で恥をさらすこともなかった。


一人の知識には限界がある。とゆーか、webが情報保管庫になってくれる現在、ヒトがなんでも憶えている必要はない。暗記した情報の量はそれほど重要じゃなくて、情報の連関を理解して齟齬に気づいたり新たな発想につなげたりできるかが問われる。
情報をうけとるときはつねにきちんと咀嚼し、理解した情報からさまざまな方向へ演繹するよう務めて、ひっかかるべきところに気づく力を身につけないと。
お仕事として文章を読むなら、漫然と文字を追うのでなく、読解しなきゃいけないわけです。
自戒をこめて。