許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

オバマ大統領への謝罪を求める

先日のNHKのニュース「日本被団協 米大統領に原爆投下への謝罪も求める」中に「オバマ大統領への謝罪を求める」との表現がありました。
ニュースの内容はタイトルのとおり、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)が広島を訪問するオバマ米国大統領に原爆投下についての謝罪を求めた、というものです。「オバマ大統領への謝罪を求める」では意味が変ってしまいます。


「に」…動作の対象を示す格助詞
オバマ大統領「に」謝罪を求める=「オバマ大統領」が謝罪することを求める
*「オバマ大統領」は「謝罪」の主語

「への」…動作の対象を示す格助詞「へ」+連体助詞「の」
オバマ大統領「への」謝罪を求める=「第三者」がオバマ大統領に対して謝罪することを求める
*「オバマ大統領」は「謝罪」の修飾語/目的語


求められているのは「オバマ大統領が(被爆者に)謝罪する」ことです。これを体言にするなら「オバマ大統領『の』謝罪」です。
オバマ大統領『への』謝罪」では「(だれかが)オバマ大統領に謝罪する」ことになります。



助詞は、「てにをはなんて些細なこと」と軽んじられがちですが、ことばとことばの関係を示す重要な機能をもちます。誤用によって文意が変る場合も多いので、助詞もおろそかにせず、意図が正確に伝わる文章を書きましょう。




学校のリポートやビジネス文書であっても助詞に気を配りたいものですが、今回とりあげたのは、唯一の戦争被爆国の公共放送のニュースです。米国の国内事情等も勘案したうえで、それでも已むなく出された被爆者の要望について、こともあろうに謝罪の対象が変ってしまうような助詞を使うとなると、些細な誤りでは済みません。報道や出版に携わる者には、日本語に真摯に向き合う心構えも必須です。
自戒をこめて。