許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

きわめつけ/きわめつき

「青田買い」は「1 稲の収穫前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。2 企業が人材確保のため、卒業予定の学生の採用を早くから内定すること」(Yahoo!辞書:大辞泉)であり、収穫前のまだ青い田を「買」っておくことです。稲穂も出ていない青々とした稲を「刈」ってしまっては意味がありません。「『青田刈り』と言うのは誤り」(同)なのです。
しかし同じweb辞書でもYahoo!辞書:大辞林では「[2]企業が、翌年卒業見込みの学生の採用を早い時期に内定すること。青田刈り」としています。「青田刈り」をひくと「[2]『青田買い[2]』に同じ」とあります。Yahoo!辞書:大辞泉は「2『青田買い2』の誤用」と明記する「青田刈り」を、Yahoo!辞書:大辞林では誤用が定着して許容された段階とみるようです。


では「きわめつけ(極め付け)」についてはどうでしょう。
「きわめつけ」の項にはいずれも「『きわめつき/極め付き』に同じ」とあるものの、「きわめつき」の説明はいささか異なります。
「1 書画・刀剣などで鑑定書のついていること。また、そのもの。2 すぐれたものとして定評のあること。また、そのもの。折り紙つき/『極め付け』とするのは誤りだが、慣用で使われることもある」(Yahoo!辞書:大辞泉
「[1]書画・刀剣などで、極め書き・極め札がついていること。専門家が鑑定して、その価値を保証していること。[2]定評があること。折り紙つき」(Yahoo!辞書:大辞林。「誤り」等の記述はありません)
ここでいう「きわめ」は書画や刀剣などの鑑定書のことです。鑑定書がついているから安心して買えるもの、が転じて、すぐれていると評価が定まったもの、の意で用いられるようになりました。
鑑定書を「これからつける」のでなく、すでに鑑定書が「ついている」点が重要です。「鑑定書つき」であって「鑑定書つけ」ではないのです。
このため「『極め付け』とするのは誤り」なのですが、「慣用で使われることもあ」り、その「慣用」を許容するかどうかには個人差があります。不特定多数に向けて書籍等を発行する場合、読者オーダーメイドの用字用語ということは(今のところ)あり得ず、辞書にも諸説ある誤用の扱いは難しいものです。
そこで校閲の際には守旧派寄りの指摘をこころがけ(「きわめつけ」があったら「きわめつき?」と書いておきます)ておりますが……いやほんとうに、日々悩みます。