許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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騎虎の勢いの如く突き進め

先週の週ベは阪神タイガース特集。特集タイトルは「騎虎の勢いの如く突き進め」でした。



まず、「騎虎の勢い」の意味。
「《「隋書」独孤皇后伝から》虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ」(goo辞書:デジタル大辞泉)です。
やりかけた本人が「もうやめるわけにいかないや」と観念してやりとおす、であって、日本語のことわざでいえば「乗りかかった船」に近い。「乗りかかった船」は「《乗って岸を離れた船からは下船できないところから》物事を始めてしまった以上、中途でやめるわけにはいかないことのたとえ」(同)ね。
周囲が止められないほど勢いにのっている、てな意味で使うのは誤用です。そもそも「騎虎」は「虎の背に乗ること」(同)。タイガーが虎に騎乗してどないすんねん(苦笑)。
まぁスポーツ紙やスポーツ誌によくある誤用だけどさ。
「伝家の宝刀」とかと同じ。「伝家の宝刀」は「家に代々伝わる大切な刀。転じて、いよいよという場合にのみ使用するもの。切り札」(同)なので、水原勇気の唯一球ならまだしも(それでも毎試合1球だけ投げるので正しい用法ではないが)、1試合に何球も投げる変化球の形容としては誤用。


そして、「の如く」も気になるところ。
「騎虎の勢い」はそれ自体「たとえ」です。「虎に乗ったような勢い」ですね。だから、さらに「の如く」をつけたら、「虎に乗ったような勢いのように」になっちゃう。「騎虎の勢いで突き進め」にすべきでした。ちょっとむずかしげなことばつかっちゃってかっこよさげ〜とでも思ったのか、いらん「の如く」を加えて、かっこわるいことに。



「鑑みる」は「過去の例や手本などに照らして考える」(同)。
「すべからく」は「多くは下に『べし』を伴って、ある事をぜひともしなければならないという気持ちを表す。当然」(同)。
「考える」や「すべて」のちょっときどった言い方ではないのよ。
はずかしい誤用をしてしまうより、「考える」や「すべて」を使うほうがよっぽど知的にみてもらえます。
使い慣れないことばを用いる前には辞書をひきましょう。