許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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体たらくぶり、体たらくな

昨今、TVや新聞などで「体たらくぶり」「体たらくな○○」といった表現をみかけることがあります。さて、この「体たらく」とはどんな意味でしょうか。


まず「体」は、「1 外から見た物事のありさま。ようす」(goo辞書:デジタル大辞泉)です。「たらく」は、断定の助動詞「たり」(文語。口語の「だ」「である」にあたります)に接尾語「く」がついて名詞化された形です。文字どおりには「ありさまであること」で、「ありさま」を強調した表現といえます。
ありさま」を強調した「体たらく」は「ざま」といいかえられます。「なんという体たらくだ」=「なんというざまだ」ですね。逆にいえば、「ざま」といいかえられない「体たらく」は誤用です。「ざまぶり」では意味を成しません。
つまり「体たらく」とは、「ありさま。ようす。ざま。現在では、ののしったり自嘲をこめたりして、好ましくない状態にいう」(同)のです。
上記の「ありさま〈中略〉好ましくない状態にいう」は、「体たらく」は「好ましくない状態」という意味である、とは異なります。「ありさま」の意で、現在では好ましくない状態の場合に用いる、という説明です。「体たらく」はあくまでも「ありさま。ようす」という意味です。


「好ましくない状態」というイメージだけで「体たらく」を使ってしまうと「体たらくぶり」のような誤用を招きます。ことばは定義をきちんと理解して用いたいものです。