許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

を輩出する/が輩出する

先日シオドア・スタージョンの『コスミック・レイプ』(サンリオSF文庫)1980年発行の初版を3,150円で買いまして。その訳者あとがきに、「輩出する」が自動詞で使われておりました。
「○○が輩出する」の用法は現代ではすっかり廃れたように思われ、わたしも、本来は自動詞という知識こそあれ見聞きするのは「○○を輩出する」の用法ばかり。でも約30年前にはちゃんと自動詞だったのだなぁ。
手元の辞書を引いてみますと、広辞苑第二版補訂版と新潮国語辞典新装改訂版は自動詞の意味だけ、新小辞林第二版では括弧書きで他動詞用法もあり。web辞書では、大辞林が自動詞のみ、大辞泉が自動詞+他動詞でした。


附記。
いまさらですけど、この記事、「輩出 自動詞」とかで検索したときヒットするみたいだと気づきました。
てことで念のため蛇足を。
新潮国語辞典の「輩出」の説明は「立派な人物が次々に世に出ること」(てことは、「立派な人物」でなかったり「次々に」でなかったりしたら使えません。悪人や凡人ではだめ、一人だけでもだめです)。
上記の鈴木晶氏のあとがきの用法は「父方の家系からは米国聖公会の聖職者が八人も輩出し」です。「輩出する」が自動詞なので主語は「聖職者」。他動詞だと主語が「父方の家系」になり、「父方の家系は米国聖公会の聖職者を八人も輩出し」と用います。
自動詞/他動詞については9月2日付の記事をご覧ください。



さらに附記。
「で、『を輩出する』と『が輩出する』のどっちが正しいの?」と思う方もいらっしゃるようです。念のためまとめを。


「輩出する」は本来は自動詞なので、「が輩出する」しかなかった。
しかし現代では他動詞としての用法のほうが優勢になり、自動詞でもあり他動詞でもあると載せる辞書も増えている。よって、「を輩出する」も今では誤用とはいえない。


日本語話者全員にアンケートをとるわけにもいかない以上、表記や用法がゆれていることばについてのある程度客観的で容易に入手できる判断基準というと辞書くらいでしょうか。わたしの周りの人はみんなそういってる、とか、わたしはこのblogに共感する、とかじゃ、おおぜいを納得させる証拠たり得ませんからね。ある学者がこう述べている、てのも、学問的には証明になりません。
てことで、1種類だけでなく多くの辞書が他動詞説を採用した現段階では、「を輩出する」も「が輩出する」も「正しい」とすべきでしょう。
ただし、本来は「が輩出する」です。 





あとは雑談。



『コスミック・レイプ』読了後、買い忘れていた『時間のかかる彫刻』と河出文庫の日本オリジナル短篇集4冊を買って(4冊揃えるのに八重洲ブックセンターへ行く必要がありました……。発行からまだ2年くらいなのに! 昨今の書店の回転はほんとーに速い……)読み進めております。これを読み終えたら、『きみの血を』『原子力潜水艦シービュー号』『人間以上』、そして最後のお楽しみに『夢みる宝石』を読み返すんだ〜。
シービュー号、『コスミック・レイプ』訳者あとがきでは「箸にも棒にも掛からない代物」と酷評されてますが、そこまで酷くないよ……。少なくともチップ・モートンSF小説の登場人物では一、二を争う好い男(いろいろと複雑な意味で)だぜ!と個人的好みでは思います。TVシリーズ版の使えないモートン副長とは月と鼈だ(あのモートンもかわいーけどね)。


ところで、遅きに失した追悼ながら、レイ・ブラッドベリの御冥福をお祈りします。でもね、没後、てっきり書店で「ミニフェア」的なのをやるかと思ったら、神保町三省堂、神保町グランデ、御茶ノ水丸善いずれも気配もなし。ブラッドベリですよ? いろんな出版社から出てる文庫を一箇所にまとめて悼むポップをちょこんと置くくらい、ねぇ。後日、八重洲ブックセンターと銀座教文館で追悼コーナーをみつけてほっとしました。
ブラッドベリ読み返しもしたいけど、こないだ『レ・コスミコミケ』と『柔らかい月』を衝動買いしちゃったのでそっちが先だな……。



今回は更新中断後のリハビリテーションということで。次回更新は8月第2週を予定、そこからはいつもの内容に戻ります――予定では。