許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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自殺を図ろうとした

「図る」のゆれについては過去にも書きましたが、先日NHKのニュースで「自殺を図ろうとした」と言っていたため、再度とりあげます。
従来の日本語ではふつう「図ろうとした」とはいいません。これはどういう意味なのでしょう。
「図る」はこの場合「企てる。もくろむ」(広辞苑第二版補訂版)であり、「企てる」は「思いたつ。もくろむ。計画する」(同)、「もくろむ」は「たくらむ。企てる。計画する」(同)です。
つまり「自殺を図ろうとした」は、字義どおりにとれば「自殺を計画しようとした」ですから、自殺を実行に移す以前の、計画をたてる前に断念したことになります。しかしニュースを聞いていると、自殺を試みたものの成功しなかったという話でした。
であれば「自殺を図った」または「自殺をしようとした」です。「自殺」と「図る」をセットのようにとらえているためことばの意味を考えずに「図る」を用い、意味を考えなかったために「図ろうとした」と事実とは異なる説明をしてしまったのでしょうか。
このニュースは複数回放送され、毎回「自殺を図ろうとした」でした。アナウンサーが読みまちがえたのではなく、原稿が「図ろうとした」となっていたようです。
私的な会話では、当事者どうしが内容を理解していれば、日本語の誤りも許容されます。しかし放送原稿や印刷物、ウェブサイトなどにおいては、ことばの意味を考えて文章を書くのは最低限必要なことだと思います。