許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

いちばん最初

前々週が消化不良だったので、重複表現についてもういちど書いておきます。これに伴い前々週の記事は書き直しました。


重言の例として挙がることの多い
古(いにしえ)の昔の武士の侍が、山の中なる山中で、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、赤い顔して赤面し、家に帰って帰宅して、仏の前の仏前で、短い刀の短刀で、腹を切って切腹
は笑い話ながら、よくみかける「第1日め」(正しくは「第1日」または「1日め」)や「各営業所ごと」(正しくは「各営業所」または「営業所ごと」)などの重複表現は単なる誤りといえます。
話し言葉はまだしも書き言葉において重複表現を避けるべきなのは、文章の簡潔さを損い、わかりにくくなるからです。論旨を正しく読みとってもらうのが目的の文章であれば、過不足のない表現は必須です。
意味の重複する表現を用いたからといってなんの効用もない場合は重言を使う理由がありません。わかりやすくもならず、語呂がよくなりもせず、強調やユーモアなどの効果が得られるわけでもないならば、それは削除しましょう。


とはいえ、ことばの意味の変遷にともなって重複表現とはとらえられなくなるものもあります。
「最近」には、「いちばん最近観た映画は『ブラック・スワン』」=「近頃観た映画で最後のものは『ブラック・スワン』」のように、「近頃」の意味があります。しかし「最初」は「いちばん初め」であり、「いちばん最初」は本来なら重言です。これが昨今は「最初」を「初めのほう」の意味で使う人が増え、その場合には「いちばん最初」も重複表現とは認識されません。
ところで「元旦」は、1976年発行の広辞苑第二版補訂版にすでに「元日の朝。元朝。また、元日」とあり、「元旦の朝」は許容されてずいぶん長いようです。


なお、「重複」「表現」「削除」のような同義の漢字を重ねた熟語や、「泣く泣く」「知らず知らず」に類する畳語を避ける必要はありません。
「歌を歌う」‘dream a dream’といった同族目的語も同様ですが、「被害を被る/受ける」「犯罪を犯す」となると、人によっては重言ととらえることがあるので、書き換えが可能なら「被害に遭う」「罪を犯す」などに変えたほうがよいかもしれません。ただし、「犯罪」と「罪」は厳密には異なるため、これは書き換えが可能な場合の話です。
このようなケースにおける重複表現か否かの簡便な見分け方は、動詞の対象となる名詞をサ行変格活用動詞にできるかどうか、です(あくまでも「簡便な見分け方」です)。
「被災する」とはいえるので「被災を被る」は誤り。
「被害する」とはいわないので「被害を被る」はかまいません。
たしかに「頭痛する」とはいわないのに「頭痛が痛む」ともいいませんが、「頭痛がする」とはいえますね。
そうすると、「違和感する」とはいわなくとも「違和感がする」とはいえると思えば「違和感を感じる」は誤り、「違和感」は「ある」のであって「する」のではないと思えば「違和感を感じる」も許容、というところでしょうか。論争を避けるには、「違和感がある」か、せめて「違和感を覚える」くらいにしておくほうがよさそうです。