許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

十分/充分

連城三紀彦さん死去 「恋文」で84年直木賞「戻り川心中」


10月23日付日刊スポーツ社会面の見出しを見て驚いた。
推理小説家だったころから好きで、数えてみたら書棚には文庫本が54冊。この十年ほどは読んでいなかったが好きな作家であることに変わりはない。
高度に技巧的な作風や文体が好い。
どんでん返しへ向けて巧緻に組まれたきらびやかな文章。日常そのままをつぶやくのとは対極にある。
ことばの表記も吟味の結果だったろう。かなかカナか漢字か。漢字ならどの文字を選択するのか。
「技巧的」とは「技巧がすぐれているさま」(Yahoo!辞書:大辞泉)のほうで「技巧に頼りすぎているさま」(同)ではない。



積ん読いた『年上の女』と『秘花』を平均寿命に遠い入寂を惜しみつつ読了して、あ、そーいやレンミキって「充分」派だっけ、と記憶が甦ったところ。


副詞/形容動詞語幹「じゅうぶん」の表記は、一般的には「十分」です。
国語辞典でも、明鏡は「本来的には『十分』」、新解さんは「十分」の項しかなくてそのなかに「『充分』とも書く」、新選は「十分」が標準的な表記で「充分」はその他の表記とし、広辞苑は「充分」の項もたてつつそこには「十分に同じ」とあるだけなのでやはり「十分」が標準との立場であろう。
ただ、わたしが見ただけでも岩国、旺国、大辞泉三省堂新国語辞典、学研新国語辞典、集英社国語辞典が「十分/充分」と並記だったので、「充分」もかなり許容されてるのかな。
とはいえ。


「分」を「十分の一」(三省堂漢和辞典第二版)ととらえ、100%(十分の一が10個)を表したければ、「十分」。


「分」を身分や本分の「分」と同様に用い、「分が充たされたようす」を意図した場合は、「充分」。


そんなふうに、自分がいいたいことを明確にしたうえで書き分けるなら、どちらも誤りではない。
ほかにも、「充たされた」のニュアンスを強調したいんだ、とか、理由があればよいけれど。
「なんか変わった字使って頭よさげ」ってだけで「充分」と書くのはよろしくない。
ビジネス文書や公的な提出書類などでは「十分」と書いておくのが無難です。




ところで、webで読み漁った訃報記事のなかに『秘花』にふれたのがあったんですけど、物語の前半で慎重に隠されてるキーワードを、なんとも無遠慮に明記しちゃってるんですよまったく! 文芸関連の記事ではルール違反でしょーが。『秘花』読みながら(その新聞社に)怒ってました。