許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

を/に注視/注目する

「注視」は「視力を集中して見つめること。注目」(広辞苑第二版補訂版)。
「注目」は「一 目をそそぐこと。みつめること。また、注意を向けること。関心を寄せること〈後略〉」(同)。
どちらも「みつめる」という意味をもち、文脈によっては置き換えが可能です。


ただし、「注視」の「視」は、「一 ミる イ 注意して見る。気をつけて見る。よく見る〈後略〉」(三省堂漢和辞典第二版)です。「見」(「一 ミる イ 目でみる〈後略〉」〈同〉)とは異なります。「注視」では、「注意深く視る」という行為自体に主眼が置かれます。
一方、「注目」は「目を注ぐ」です。みつめる行為のみならず「関心を寄せる」意思も想起されます。このため、「注目に値する」とはいえても、「注視に値する」とはいいません。



ところで、goo辞書:デジタル大辞泉に「注目」の用例として「目の前の舞台を―する」とありました。
疑問に感じてwebで“を注目”と“に注目”を検索してみました。「Google検索」で多くヒットするかどうかは信頼に足る証拠にはなりませんが、少なくとも“に注目”が圧倒的多数派だったことは確かです。しかも“を注目”の検索結果には「○○を『注目の△△』として」といった文章もたくさん含まれます。
goo辞書:類語例解辞典の対比表でも、「に注目する」は使うが「を注目する」は使わないとしています。
やはり、「○○に目を注ぐ」であるからには「○○に注目する」が自然でしょう。同じく、「○○を注意深く視る」なので「○○を注視する」がしっくりきます。


助詞は軽視されがちです。しかし、助詞を注意深く扱った文章は、筆者の国語力の水準を証するものとみてもらえることがあります。逆もまた然りです。