許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

リラクゼーション・リラグゼーション/リラクセーション、エキシビジョン/エクシビション、ジャグジー/ジャクージ、コンシェルジェ/コンシエルジュ、ラタトゥーユ・ラタトゥユ/ラタトゥイユ

大ヒットドラマと同じ原作者や制作スタッフというので注目されたTVドラマが最終回を迎えるようですね。ドラマのタイトルは原作と同じ「ルーズヴェルト・ゲーム」。この「ルーズヴェルト」は米国第32代大統領(FDR)のことですが、原音になるべく忠実に表記すると「ロウズヴェルト」になります。とはいえ日本で一般的な表記は「ルーズベルト」ですから、『ローズヴェルト・ゲーム』では読者がぴんとこないかもしれず、原作者も編集者も「ロ」でなく「ル」を採ったのでしょう。
同じ米国大統領でも第40代のほうは、当初「リーガン」と記されていたのが、米国大使館からの要請もあり、原音に近い表記の「レーガン」で定着しました(「レイガン」のほうがより原音に近いものの、英語では明確に「エー」と区別される「エイ」は、日本語では「エー」と発音します)。この例では「リーガン」がさほど一般に浸透していなかったので修正が容易でしたが、いちど誤った表記が「定着」してしまうと、それをくつがえすのはたいへんです。
もちろん「日本で使う外来語は日本人に通じればいいじゃないか」との意見もあるでしょう。
ただ、グローバル化と無縁に生きてゆくのが困難な現代、実質的な国際公用語である英語を「通じる発音」でおぼえておくのは有用です。以前TVで、MLB昇格をめざす田中賢介選手の夫人が米国のスーパーマーケットで胡麻を買おうとして「セサミ」が通じず苦労する場面を放送していました。英語を話す環境で暮らさざるを得ない事態になる可能性は、だれにとっても、なきにしもあらずです。
「『正しい発音』に拘泥するあまりしゃべれないよりも、日本語なまりでかまわないからどんどん口に出すのがよい」とはまったくそのとおりながら、原音と異なる発音の外来語表記にこだわることもないはずです。


そこで重要なのが、外来語の誤った表記が定着するのを防ぐことです。校正者も微力ながらそのお役に立ちたい、のですけれども、次から次へと新たな(原音には遠い発音の)カタカナ語が広まる状況ではなかなか難しく、「これはもう定着してしまったからしかたがないのかな」とあきらめることも多々あります。
そのひとつが「リラクゼーション」または「リラグゼーション」。
「relaxation」を原音になるべく近く表記するとしたら「リラクセーション」でしょうか(【ei】と「エイ」の違いは上記のとおり)。ただ、「リラクセーション」と原稿に書いたり校正刷で指摘しても、編集者に「リラクゼーション」に直されがちです。
濁る/濁らないでいえば「エキシビジョン(○エクシビション)」はどうか。
また、この2語の原語にある「x」は、文字自体が「エックス」と読んで「エッキス」とは読まないように、本来は「クス」「グズ」です。なぜか「キス」と読む外来語が多いのですが、内閣告示「外来語の表記」の「留意事項その2(細則的な事項)6」では「『クサ』『クシ』『クス』『クソ』と書くか,『キサ』『キシ』『キス』『キソ』と書くかは,慣用に従う」で……「慣用」だけでは判断に困ってしまいます。
「ジャグジー(○ジャクージ)」はすでに「慣用」として定着したのか。英語由来ではありませんが、「コンシェルジェ(○コンシエルジュ)」は? 「ミルフィーユ(○ミルフイユ)」はもう定着してしまったにしても、「ラタトゥーユ、ラタトゥユ(○ラタトゥイユ)」はどうだろう?
かばんをバック(○バッグ)、寝台をベット(○ベッド)、人間ドッグ(○人間ドック)、シュミレーション(○シミュレーション)やコミニュケーション(○コミュニケーション)などの、迷わず赤字を入れられるものばかりではありません。「外来語は原音になるべく近い表記とする」が一般的になってくれれば、原語の辞書をひいて発音記号を調べればよいので楽なのですが……そんなことにはなりませんよね。

騎虎の勢いの如く突き進め

先週の週ベは阪神タイガース特集。特集タイトルは「騎虎の勢いの如く突き進め」でした。



まず、「騎虎の勢い」の意味。
「《「隋書」独孤皇后伝から》虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ」(goo辞書:デジタル大辞泉)です。
やりかけた本人が「もうやめるわけにいかないや」と観念してやりとおす、であって、日本語のことわざでいえば「乗りかかった船」に近い。「乗りかかった船」は「《乗って岸を離れた船からは下船できないところから》物事を始めてしまった以上、中途でやめるわけにはいかないことのたとえ」(同)ね。
周囲が止められないほど勢いにのっている、てな意味で使うのは誤用です。そもそも「騎虎」は「虎の背に乗ること」(同)。タイガーが虎に騎乗してどないすんねん(苦笑)。
まぁスポーツ紙やスポーツ誌によくある誤用だけどさ。
「伝家の宝刀」とかと同じ。「伝家の宝刀」は「家に代々伝わる大切な刀。転じて、いよいよという場合にのみ使用するもの。切り札」(同)なので、水原勇気の唯一球ならまだしも(それでも毎試合1球だけ投げるので正しい用法ではないが)、1試合に何球も投げる変化球の形容としては誤用。


そして、「の如く」も気になるところ。
「騎虎の勢い」はそれ自体「たとえ」です。「虎に乗ったような勢い」ですね。だから、さらに「の如く」をつけたら、「虎に乗ったような勢いのように」になっちゃう。「騎虎の勢いで突き進め」にすべきでした。ちょっとむずかしげなことばつかっちゃってかっこよさげ〜とでも思ったのか、いらん「の如く」を加えて、かっこわるいことに。



「鑑みる」は「過去の例や手本などに照らして考える」(同)。
「すべからく」は「多くは下に『べし』を伴って、ある事をぜひともしなければならないという気持ちを表す。当然」(同)。
「考える」や「すべて」のちょっときどった言い方ではないのよ。
はずかしい誤用をしてしまうより、「考える」や「すべて」を使うほうがよっぽど知的にみてもらえます。
使い慣れないことばを用いる前には辞書をひきましょう。

雇用者/被雇用者

「相続人」は、親族等の財産をうけつぐ人。親が死亡して子が財産を相続した場合、子のほうです。
被相続人」は、相続人に財産をうけつがれる人。上記の場合は親のほうです。
つまり、「被○○」とは、○○されること、○○を被ることを意味します。選挙権-被選挙権、後見人-被後見人、修飾語-被修飾語……すべて、前者は○○する、後者は○○される、と理解しましょう。


「扶養親族」「扶養家族」なら扶養(扶〈たす〉け養うこと)の対象となる親族や家族のことですが、「扶養者」は「扶養する者」――家族を養っている人の意味です。「扶養控除」は、課税に際して親族を扶養している人の収入から一定額を控除するもので、「扶養【される】親族の控除」ではなく、「親族を扶養【する】人に対する控除」。「被扶養者」なら、「扶養される者」なので養われている家族のことを示せます。
たとえば、健康保険組合をもつ企業に勤める夫と無収入の妻のケース。<今や時代錯誤になりつつある事例ながら、わかりやすいので……。
「保険者」は、健康保険を運営する健康保険組合
「被保険者」は、健康保険に加入して保険給付を受ける権利をもつ夫。
「扶養者」は、妻を扶養する夫。
「被扶養者」は、夫に扶養される妻。健康保険組合に被扶養者と認められることで、健康保険の給付を受ける権利も得られます。



ただ、「雇用(傭)者」には、雇用する人(雇い主)/雇用される人(雇われ人)の両方の意味があります。
労働統計で「新規雇用者数」といえば、新たに雇われた人の数であって、新たに労働者を雇った人の数ではありません。公式統計のように語の定義が明確にされたものなら、その統計等における定義に則れば誤解のおそれはないのですが、一般の文章や会話では、筆者/話者がどちらの定義で「雇用者」を用いたのか明確であるとはかぎりません。
相手に意図を正しく伝えるためには、筆者/話者のほうでことばの選択を吟味することが必要です。
統計等を引用するのでなければ、「雇用者」をほかのことばに置き換えてはいかがでしょう。雇い主を意味するなら「雇用主」や「使用者」、雇われ人の意なら「被用者」が使えます。

甘んじる/甘える

2年連続の開幕メジャーに「甘んじることなく、しっかり準備を進めていきたい」と気を緩めることはない。
(4月1日付日刊スポーツ)



「甘んじる」(「甘んずる」の上一段活用化)の意味は、「1 与えられたものをそのまま受け入れる。しかたがないと思ってがまんする〈後略〉」(goo辞書:デジタル大辞泉)です。「よいと思って満足する」(新潮国語辞典新装改訂版)でもあるものの、現代では「与えられた状況は満足できるものではないが、しかたなくうけいれる」というニュアンスで使われることがほとんどです。
これに対して「甘える」は、「一 慣れ親しんでわがままにふるまう〈後略〉」(同)の意。


「甘んじる」と「甘える」の意味を確認したところで、上記の例を見直してみます。
MLBの開幕アクティブロースター(いわゆる25人枠)への登録は、日本のプロ野球で一流の成績を残した選手にも、決して保証されてはいません。それを、日本でプロ経験がない選手が2年連続でかちとったとあれば、「しかたがないと思ってがまんする」ような不本意な状況ではないはずです。どちらかといえば、望外の順境に慣れておごってしまい努力を怠ることが懸念される事態です。
ここは「甘んじる」よりも「甘える」のほうがしっくりきます。「甘んじる」では「2年連続の開幕メジャー」に不満であるかのような印象を与えかねないからです。




取材対象の発言の引用には細心の注意が不可欠です。取材の過程で相手の真意をくみとり、意図を枉げないかたちで記載すべきです。とりわけ「」で囲んだ発言は、読者に発言そのままの引用ととられるため、編集は最小限にとどめることが求められます。とはいえ、一言一句発言どおりにする必要はありません。限られた字数のなかで取材対象の真意を表現するには、最小限の編集が効果的な場合もあるのです。

消費増税

消費税率引き上げが迫り、「消費増税」という表現がTVや新聞雑誌にあふれています。
校閲してても頻繁にお目にかかるようになり、その都度「消費」と「増税」のあいだに「税?」と疑問出し(明らかな誤りではないが修正したほうがよいのではないかと思われるものを指摘すること)してはいるんだけども、どうなんだろう、「消費増税」ってもう日本語として許容された段階にあるのかしら。
“消費増税”と“消費税増税”でぐぐってみたら、前者が約2,420,000件、後者が約2,370,000件とのこと(2014年3月30日現在)。Googleの検索精度に難があるうえ、webはコピペの世界なとこがあって同じ文章をたくさん重複して数えてる可能性も大きいから、「ぐぐってx件」てのは論拠にはならないものの、「『消費増税』圧勝」ではなさそうなので、疑問出しは続けよう。


やっぱ、「消費税の増税」の助詞を省略して「消費税増税」はかまわんけど、「税」まで省くのはおかしいと思う。「消費税を増税する」とはいっても「消費を増税する」とはいわないもの。「直行便の増便」だって「直行便増便」であって「直行増便」ではないでしょ、「直行を増便する」じゃわけ解らん。
「消費に対する増税」の略であるといえないこともないかもだが、「に対する」を含む名詞化ならふつう、「対」が入る(対人関係、対テロ作戦、対閃光防禦とかさ)。
「酒税増税」を「酒増税」とはいわないでしょーから、たぶん、「消費税増税」はいいにくく「消費増税」はいいやすい、あるいは「消費税増税」は長すぎる、てだけのことかと。だったら、日本語のプロたるべきアナウンサーや記者が、安易に「税」を省略するのはいかがなものか。



わたしは、ライターの立場では、事実を正確かつ過不足なく表現できる「消費税率引き上げ」を使ってます。たしかに「消費増税」の倍の文字数にはなる。でも、たかだか4文字ですからね。そんなん、ほかでいくらでも削れるのよ。冗長な表現をとっぱらえば、記事中で重要な意味をもつことばを省略する必要はない。
「消費増税」を使いながら「ている」や「となる」なんかを濫用してる文章を見ると、削るとこがちがうやろ、と思っちゃうわけでした。

ご利用される、ご利用できます、ご利用してくださる、ご利用してください、ご利用していただく、ご利用する(サ行変格活用動詞の敬語)

もうすぐ4月、社会人としての生活を始める人も多い時期です。敬語は仕事の基礎の一つ。誤りやすいサ行変格活用動詞の敬語について、再確認しておくのもよいかもしれません。
新入社員を迎える側も。
*サ行変格活用…「〈前略〉口語では『する』だけであるが、和語・漢語・外来語や、名詞・副詞など他の品詞の語について、多くの複合動詞がつくられる。『恋す(る)』『啓す』『熱する』『びくびくする』『ドライブする』など。『甘んずる』『応ずる』などザ行に活用するものも含む。サ変」(goo辞書:デジタル大辞泉
(「○○くださる」「○○ください」「○○いただく」を追記しました)




サ変動詞の敬語の前に、敬語の三大類型の確認を。
 尊敬語:尊敬する人(多くは会話の相手)への敬意を直接示す。主語は尊敬する人。
 謙譲語:自分や身内を低めることで間接的に尊敬する人への敬意を示す。主語は自分や身内。
 叮嚀語:ていねいな表現で尊敬する人への敬意を示す。「です」「ます」など。


サ変動詞の敬語でもっともよくみられる誤りは「相手の行為に謙譲語を用いる」「自分の行為に尊敬語を用いる」ですから、尊敬語と謙譲語の主なパターンをみてみましょう。
*パターンにあてはまらない例外もあります。



・○○する
 尊敬語:ご○○になる、○○される、○○なさる、ご○○なさる(叮嚀語がつくと「ご○○になります」など。以下同じ)
 謙譲語:ご○○する、ご○○もうしあげる、○○いたす、ご○○いたす
 NG:ご○○される<尊敬語として使うのをみかけますが、謙譲語「ご○○する」に助動詞「れる」がついた形です。元が謙譲語なので、相手の行為に謙譲語を用いたことになってしまいます。
 !:「ご○○する」「ご○○もうしあげる」が使えない場合があります。たとえば「利用する」を謙譲語にするなら、「ご利用します」とはいえず、「利用いたします」になります。これは、「自分が××を利用する」のなかに「尊敬する人」が存在しないからです。「『自分が××を利用する』ことを相手に話す」となってはじめて「相手」という「尊敬する人」が現れます。「尊敬する人」が会話の相手のみである(話題になっている行為等の対象ではない)際には「○○いたす」を用います。「自分が相手に××を提出する」なら文中に「尊敬する人」があるので「ご提出します」も「提出いたします」も使えます(詳しくは文化庁敬語の指針」の「謙譲語I」「謙譲語II」をご覧ください)。


・○○できる
 尊敬語:ご○○になれる
 謙譲語:ご○○できる
 NG:相手の行為に「ご○○できる」<「○○する」の可能形を尊敬語にする場合、初めに「○○する」を尊敬語にします。「ご○○になる」ですね。次に「ご○○になる」の「なる」に可能の助動詞「れる」をつけ(「なれる」)、通常は最後に叮嚀語の「ます」を加えます(「ご○○になれます」)。


・○○してくれる
 尊敬語:ご○○くださる、○○してくださる<サ変動詞の語幹が漢語の場合(慣習上「ご」との組み合わせがなじまない語を除く。以下同じ)は「ご○○くださる」のほうが敬意の強い表現ですが、外来語などの場合は「○○してくださる」だけを用います。
 謙譲語:なし
 NG:ご○○してくださる<これは、謙譲語「ご○○する」に補助動詞「くださる」がついた形です。元が謙譲語なので、相手の行為に謙譲語を用いたことになってしまいます。
   ○○くださる<すでに許容された段階かもしれないほど広く使われていますが、規範に則った表現ではありません。「ご」との組み合わせがなじまない語の場合は「○○してくださる」を用いましょう。


・○○してくれ(依頼)
 尊敬語:ご○○ください、○○してください<サ変動詞の語幹が漢語の場合は「ご○○ください」のほうが敬意の強い表現ですが、外来語などの場合は「○○してください」だけを用います。
 謙譲語:なし
 NG:ご○○してください<これは、謙譲語「ご○○する」に補助動詞「ください」がついた形です。元が謙譲語なので、相手の行為に謙譲語を用いたことになってしまいます。
   ○○ください<「○○くださる」と同様、避けるほうがよいでしょう。
*「○○してくれるよう願う」については過去の記事をご覧ください。


・○○してもらう
 尊敬語:なし
 謙譲語:ご○○いただく、○○していただく<サ変動詞の語幹が漢語の場合は「ご○○いただく」のほうが敬意の強い表現ですが、外来語などの場合は「○○していただく」だけを用います。
 NG:ご○○していただく<これだと、「ご○○いただく」(主語は自分)とは異なり、謙譲語「ご○○する」に補助動詞「いただく」がついた形になってしまいます(「○○する」の主語は相手、「いただく」の主語は自分)。「○○していただく」なら、「○○する」は敬語でなく単に事実を述べただけですから、相手の行為に謙譲語を用いることにはなりません。NGの理由は「相手の行為に謙譲語を用いる」ことだと理解しましょう。
   ○○いただく<「○○くださる」と同様、避けるほうがよいでしょう。




ご利用される、ご利用できます、ご利用してくださる、ご利用してください、ご利用していただく、などを使ってしまうことのないよう、使用範囲が広いサ変動詞の敬語のパターンは暗記しておくのが得策です。
「敬語なんてこまけーことはいーんだよ! おれって人間の中身をみろ!」といいたくなるかもしれませんが、スピード重視の現代ビジネスにおいて、はじめて会った人間をじっくりみきわめてくれるところはあまりないのが現実です。
「敬語がきちんと使えるならまともな社員教育を受けているだろうから話を聞いてやろうか」も「敬語も使えないなら話の内容もたかがしれている。相手をするひまはないよ」も十分あり得ます。電話でクレームを受けたとき、めちゃくちゃな敬語で対応すれば怒りに火を注ぐのに対し、きれいな敬語でていねいに話を聴くだけで相手がおちついて冷静に話せるものです。
そもそも敬語は、基本パターンを覚えるだけでたいていは不自由なく使えます。なじみのない外国語を一から学習するのに比べれば実にたやすく習得できるのです。敬語が使えることはビジネスツールの一つだと考え、早めに身につけてしまいましょう。文化庁の「敬語おもしろ相談室」などが参考になります。

つけまわし

先の臨時国会で、特定秘密保護法案の審議の陰に隠れていつの間にやら成立していた、いわゆる社会保障制度改革のプログラム法。社会保障制度改革の「全体像及び進め方を明らかにする」(持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律第一条)法律のはずが、全体像というには枝葉末節が並びます。社会保障も安全保障と同じようにだいじなんですけどね。
で、この法案の国会審議の際に担当大臣が、社会保障の国民負担のつけを将来の世代に回す、といったことについて「つけまわす」とか「つけまわし」とか述べてまして、あーまた政治家がみょうちきりんなことばを世に広めて……と思ったら。


動詞「つけまわす」とは「しつこくあとを追いまわす」(goo辞書:デジタル大辞泉)の意。大半の辞書にはこの意味しか載ってません。他人につけを回すといいたいなら「つけ『を』回す」。名詞「つけまわし」は項目を立てない辞書が多数派。
でも、「つけまわす」や「つけまわし」に他人につけを回すの意味も認める辞書がけっこーあったんですよ。三国は動詞も名詞も、大辞林と新選は名詞を、学研現代新国語辞典は動詞を、他人につけを回すの意でも記載してました。
複数の辞書が採用したとなると、一定程度許容された段階とみてよいのでしょう。しかし。
『カネを積まれても使いたくない日本語』(内館牧子著)第一章の章題が「大らかな許容の果てに」でした。「ことばは時代によって変化するもの」だからといっておおらかに許容し続けたあげくが、国会答弁でも就職面接でも顧客対応でも「乱れた日本語」が使われる状況をもたらしたわけで。
親しい友人との気の置けない会話や私的なblogなどではら抜きことばやあいまいことばを用いても、時・場所・場合に応じて「美しい日本語」も使える。そうした人が少なくなってゆけば「美しい日本語」は絶滅してしまうかもしれません。
内館牧子氏をはじめたくさんの作家や学者、それをはるかにしのぐ数の市井の人々が「日本語の乱れ」について書くのは、重箱の隅をつついて悦に入りたいからじゃないのです。個々の指摘にうなずけない点があったとしても、「乱れた日本語」を使うこと自体はかまわないけど「美しい日本語」もちゃんと使いこなせるのを前提に、という切なる願いは理解してほしいなぁ。


来年も、ライターとしてはまっとうな日本語で文章を書く、校正者としては疑問のあることばづかいを指摘する、編集者としては原稿整理の段階で「日本語の乱れ」を除く、てなことを地道に行ってまいります。それと、多忙でないかぎりは、このblogも週イチ更新したいものです。
去年の12月31日23時59分にリセットしたカウンターが145,740件になってました。拙文をお読みくださいましてありがとうございます。今後も閲覧を賜りますれば幸甚に存じます。
みなさまよいお年を。