許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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甘んじる/甘える

2年連続の開幕メジャーに「甘んじることなく、しっかり準備を進めていきたい」と気を緩めることはない。
(4月1日付日刊スポーツ)



「甘んじる」(「甘んずる」の上一段活用化)の意味は、「1 与えられたものをそのまま受け入れる。しかたがないと思ってがまんする〈後略〉」(goo辞書:デジタル大辞泉)です。「よいと思って満足する」(新潮国語辞典新装改訂版)でもあるものの、現代では「与えられた状況は満足できるものではないが、しかたなくうけいれる」というニュアンスで使われることがほとんどです。
これに対して「甘える」は、「一 慣れ親しんでわがままにふるまう〈後略〉」(同)の意。


「甘んじる」と「甘える」の意味を確認したところで、上記の例を見直してみます。
MLBの開幕アクティブロースター(いわゆる25人枠)への登録は、日本のプロ野球で一流の成績を残した選手にも、決して保証されてはいません。それを、日本でプロ経験がない選手が2年連続でかちとったとあれば、「しかたがないと思ってがまんする」ような不本意な状況ではないはずです。どちらかといえば、望外の順境に慣れておごってしまい努力を怠ることが懸念される事態です。
ここは「甘んじる」よりも「甘える」のほうがしっくりきます。「甘んじる」では「2年連続の開幕メジャー」に不満であるかのような印象を与えかねないからです。




取材対象の発言の引用には細心の注意が不可欠です。取材の過程で相手の真意をくみとり、意図を枉げないかたちで記載すべきです。とりわけ「」で囲んだ発言は、読者に発言そのままの引用ととられるため、編集は最小限にとどめることが求められます。とはいえ、一言一句発言どおりにする必要はありません。限られた字数のなかで取材対象の真意を表現するには、最小限の編集が効果的な場合もあるのです。