許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

実家でのんびりさせていただきました

敬語は尊敬の気持を表すものです。このうち尊敬語は、相手への敬意を直接表現します。謙譲語は自分を低めることで相手を高め、尊敬を示します。
さて近年、謙譲語の「させていただく」が多用されるようになりました。尊敬する相手の想定が難しい場合であろうと、自分の行為についてはすべて「させていただく」をつけるのです。
お正月はどうでしたかとの街頭インタビューに「実家でのんびりさせていただきました」と答えた際の尊敬の気持はどこに向くのでしょう。
実家の家族は身内ですから、家族どうしの会話を除いては、家族について敬語を使うべきではありません。不特定多数の視聴者を高めるために謙譲語を用いたとするのが妥当ですが、不特定多数の相手に対してへりくだるのはゆきすぎに思えます。
しかし現在では、丁寧語の「実家でのんびりしました」では不十分と感じる人が多数派になったようです。極力人間関係の摩擦を避ける現代社会の処世術なのか、自分について話す場合はつねに謙譲語を用いなければならないとの感覚があるのかもしれません。
相手を敬う気持を表す敬語という豊かな表現が、過剰な謙譲語に集約されてしまうのはもったいないことです。



今回、「させていただく」の是非については論じませんでした。
見たり聞いたりしない日はないほど広く使われている一方で、webで検索すると問題視する意見が多数ヒットします。「『相手の許可を得て(許可に対する感謝をもって)なにかを行う』場合に用いるのは適切だがそれ以外は誤用」が批判的意見の最大公約数のようです。
とはいえ、すでに日本語として許容された印象もあります。簡潔に謙譲の意を表す「いたします」が「ぞんざい」とうけとめられ、近々「させていただきます」に駆逐されるのでしょうか。


なお、2007年の文化審議会答申「敬語の指針」にある「謙譲語II」も、「相手」への敬意を表すものですから、上記「のんびりさせていただきました」のように「相手のない敬意」ではありません。


久々の更新のせいか蛇足を長々とおそれいりますが、2ch.のさせていただく症候群のスレッドはたいへん楽しく拝読しました。