許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

先生はご自宅におりますか

「いらっしゃる」は「行く」「来る」「いる」の尊敬語、「まいる(参る)」は「行く」「来る」の謙譲語です。
では「おる(居る)」は。
辞書では「一1 いる。存在する。〈中略〉二1 (動詞の下に付き、動作・状態の継続・持続の意味をそえる)…している。2 自分を卑下する語。また他人の動作を卑しめののしる語」(新潮国語辞典新装改訂版)といった説明が一般的です。
このため、「先生は自宅にいるか」を尊敬語にする場合に「おる」を用いると、敬意を表す先である「先生」の動作に自分を卑下する語を使うことになってしまいます。「先生はご自宅にいらっしゃいますか」とすれば先生への敬意を表せます。
(附記。「先生はご在宅ですか」も使えます。
 蛇足ながら、「先生はご在宅でいらっしゃいますか」は二重敬語〈同じことばに対して別の敬語表現を重ねること〉でなく敬語連結〈「ご在宅」=「在宅」の尊敬語+「いらっしゃる」=「している」の尊敬語+「ます」=叮嚀語〉であり、正しい敬語です)


さて、この例で、「先生はご自宅におられますか」といえるでしょうか。
これには議論があるようです。辞書によっては「『おります』で丁寧な言い方、『おられる(おられます)』で尊敬の言い方として用いられる」(Yahoo!辞書:大辞林)と尊敬表現としての「おる」を認めるものの、「おる」は「自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある」(同。用例として「いろいろ文句を言う者が―・るので困る」)ため、尊敬表現にはなじまないと感じる人も少なくないのです。文化庁「敬語の指針」では明確に「いる」の「謙譲語」としています。


敬語の意義は、相手に敬意をもって遇されたと思ってもらうことです。相手が「おられる」を尊敬表現として認めるかどうかわからない場合は「いらっしゃる」を使うのが賢明です。
ただし、「おられる」が尊敬表現として広く許容されているのは事実ですから、長い文などで「いらっしゃる」では冗長になると判断した場合に「おられる」を用いることもあるでしょう。
要は、機械的にことばを選択せず、その場に応じて相手に敬意が通じる表現をすることです。