許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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よろしくお願いしたいと思います

敬語の乱れとして「千円からお預かりします」「御注文のほうはこれでよろしかったでしょうか」などがよく挙げられます。こうした「敬語」が使われる背景に、摩擦を恐れ曖昧表現を選択することがあるともいわれています。
曖昧表現は、「みたいな」「感じ」といったいわゆる「若者言葉」が例に挙げられて若い人の専売特許のようにもいわれますが、五十歳台の公人が公の場で「よろしくお願いしたいと思います」といい、それが巷間に受け入れられているのですから、広く許容される表現ではないかと思います。
ここまで、曖昧表現の一種である受身形を使って書いてみました。「といった」「かと思います」も加えましたが、曖昧に過ぎるとの違和感はありません。断定表現を避けるのはごく一般的になっているからです。
「よろしくお願いしたいと思います」のほかにも、「がんばりたいと思います」「お詫び申し上げたいと思います」もよく聞きます。思うだけでなく実際にがんばればよいのだし、悪いことをしたのに謝りたいと思っているだけではいけませんが、誰もそんな指摘はしません。
話し言葉が曖昧を志向しているため、書き言葉にも曖昧表現が増えています。限られた字数のコラムに「という」「ようだ」などの曖昧表現が多用されていて、これを削れば中身のあることがもっと書けるのに、と感じてしまうほどです。
婉曲表現は日本語の重要な一部ですし、断定表現だけで叮嚀語の文章を書くのは難しいものです。それでも、ぼかしてばかりの文章は美しくありません。まずは簡潔な表現を心懸けたいものです。