許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

してみえる

以前電話応対部門の統轄をしていたとき、商品知識が十分でさまざまな問い合わせに柔軟に対応でき、話し方も感じがよいオペレータさんがいらしてとても助かりました。
しかしある日、ふと気になることが。
「○○さんって、もしかして名古屋出身では?」
「えー、なんでわかったんですか?」
彼女の共通語アクセントはほぼ完璧でした。二音節単語に東海アクセントが散見された程度です(わたしも小学二年生から五年生一学期まで静岡県民だったので、成人してからもかなり長く「靴」のアクセントが共通語と異なってました〜)。
出身地を類推できたのは、「みえる」の使い方。
名古屋弁では「みえる」と「いらっしゃる」が完全にイコールっぽいんですよね、どうも。共通語でも「お客様がみえました」「お客様がいらっしゃいました」はどちらもいいますが、名古屋弁ではそれに加えて、「先生は外出していらっしゃいます」のような場合も「先生は外出してみえます」になるようです。
先日、共通語で記された個人サイトに「いらっしゃる」の意の「みえる」があったので、記憶が甦りました。
もちろん方言も豊かな日本語表現の一部です。わたしも多様なお国言葉を聞くのは大好きで、ぜひみなさんに故郷のことばをお使いいただきたいと思いますが、共通語を使っているつもりでじつはそうではなかったというのは話者の本意ではないでしょうから、老婆心まで。


ところで、「せんひき」は方言なんですよ〜(共通語では「定規」)。小学五年生で感じたカルチャーギャップ。