許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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天災の被害に忸怩たる思いだ

「やおら」は「やを(徐)」+接尾語「ら」で、「静かに、物音など立てないように動作をするさま」(岩波古語辞典「やをら」)を表します。現代語でも「そろそろと。おもむろに。ゆっくりと」(新潮国語辞典新装改訂版)であり、やわらかな語感と「ゆっくりと」の意味がよく調和した美しい日本語ですが、現代では「いきなり」の意味で使う人のほうが多くなりました。
*「おもむろに」も同様です。漢字では「徐に」と書き、意味は「しずかに。ゆっくり」(同)ながら、「いきなり」ととらえる誤用が定着しました。


「忸怩」も誤用が優勢になりつつあるようです。ここ十年ほど「悔しい。腹立たしい」の意で使われることが増え、さらに昨今では「天災の被害に忸怩たる思いだ」といった用法を目に/耳にします。「辛い」「やるせない」のニュアンスでしょうか? 筆者/話者の正確な意図は不明です。
「ことばはいきもの」で済まされないのはこの点で、許容の段階に至っていない誤用は意思の疎通を難しくします。
「忸」も「怩」も「恥じる」を表す漢字で、「忸怩」は「恥じらうさま。心に恥じるさま」(同)です。天災が生じたことに対して恥ずかしく思うとしたら神様です。人間は自然の力を制馭できないのですから、思うのはたとえば悲痛や同情で、忸怩ではありません。
自分の思いを正しく伝えるためにはやはり、ことばの誤用を避けたほうがよいでしょう。