許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

もしも調査報道が消えたなら

先月、朝日新聞社社長がふたつの誤報について謝罪文を発表。もちろん誤報自体イカン(重大問題についての記事だっただけになおさら)のですが、それとは別に、「あ〜あやっちゃったよ……」と嘆息しましたことよ。
長年誤りを指摘されてきた「朝日新聞の」記事がやっぱり誤報だったなんて、「偏向した『マスゴミ』は信用できない」の主張に「揺るがぬ証拠」を与えたわけですからね。
いや、あたくしは、中学生時分からの朝日嫌い、かといって読売・産経の勧誘もお断りの日刊スポーツ定期購読者なので、サヨクもウヨクもどーでもいーんです。けど、調査報道がなくなったらたいへん。


毎日仕事をして家事をして本を読む時間もそんなにとれないとなると、プロが取材し報道してくれるTVや新聞は、社会についての知識(情報にとどまらず)を簡便に得るのに重宝な手段です。まぁ媒体はwebって人もいるでしょうが、記事は報道機関が制作してる。ポータルサイトとかはキュレーター(学芸員じゃなくてweb用語の)であって、もともとの記事がなければwebでニュースを読めないのよ。
でもいまや旧来のTV局や新聞社の経営手法はぐらついてて、今後も持続可能なビジネスモデルは(米国等でいろいろ意欲的な試みがなされていると聞くけれども)確立してない。このままじゃ「報道機関による調査報道」はレッドリストに載るかもだ。それに拍車をかけるのが、世間の報道機関不信。真実はblogやBBSやSNSにしかないと確信する人が増えていったら……。


別の仕事の片手間でなく職業生活の100%を取材やら編集やらにふりむけられる人が、何世代もかけて構築してきたコネクションや蓄積してきた専門知識を活用し、十分な取材を基に自ら反証も行ったうえで制作した記事は、信頼度の面で、どこのだれが書いたかわからないblogには優ります。いくらアサヒが信用できなくても、じゃあBBSの書きこみをアサヒ以上に信ずる根拠があるかつったら、たぶんない。
とはいえ。
上記謝罪文では誤報の原因として「思い込みや記事のチェック不足」「裏付け取材が不十分」と説明してました。きっちり裏をとって偏りのない視点で書いて、デスクだったり外部監修者だったりにしっかりチェックしてもらうのは、基本のキってやつです。が、すべての記事がそうかと問えば、そんなこたないのが実状。
しかも、事実を枉げて(本人には枉げた意識はないとしても)でもおのれの信念に基づく記事を書かれるのもすごーく困るが、そーゆー信念とか偏向とかぜんぜんなく、単に能力や知識や意欲や、なによりプロ意識に欠けることによる取材不足や理解不足の記事が増えてる気がするんですよね。
これはほんとに困った事態で、素人さんのblogが及ぶべくもない信頼度の高い記事を読むにはプロのジャーナリスト(従業員か外部スタッフか寄稿者かを問わず)をそろえた報道機関が必要なのだ、といえなくなってしまう。そして、信頼できる報道機関が絶滅し、ジャーナリストが生計を維持しにくくなって、調査報道が消え、単なる情報だけが氾濫する世界が到来したら、社会のあれこれについて正しい判断を下す根拠を探すのはかなり困難に。
既存の報道機関なしでも信頼度の高い記事が供給され続ける保証がないうちは、報道機関を否定するのでなく、取材や理解の足りない記事に建設的な批判を寄せることで報道機関の健全な発展を促すほうがいいんじゃないかなぁ。



わたしはジャーナリストじゃないけど、文章を書いて口を糊してる以上、今回の記事は自戒をこめて書きました。
で、週ベ9.29号を憶い出したんですけども。
「捕手と走者の激突の裁き、いまだに瞑想中」 <MLBで本塁クロスプレイに関する議論が「迷走」しているという記事の見出
その2ページ前には「若干20歳」 <「弱冠21歳」は誤用だがこれは誤変換
それより「日本唯一の野球週刊誌」としてまずかろう、なのは「四球を受け、両軍がホームベース付近でにらみ合う」 <フォアボールで乱闘してたら試合が終わらんでかんわ
(おまけ。10.13号より。
「当時としては大会史上初」 <タイムマシンにおねがい♪)
たとえスケジュールがタイトでも一字一句おろそかにせず校正しよう。自戒自戒。