許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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I LOVE RENGERS!

英語教育の前にローマ字を教えてはならない、が持論。
たとえば「a」は、日本語の「ア」に近い発音で読むことは多くない。「ェア」だったり、「ァ<曖昧母音を仮に表記してみた」、「エイ」、「オー」、「アー」だったりする。
そもそも英語は一文字一音ではない。「ア」は「ア」としか読まない日本語とは違う。「cat」なら「ェア」、「about」なら「ァ」、「name」なら「エイ」、「all」なら「オー」、「far」なら「アー」。発音は文字よりも綴りに基づく。で、「a」という文字は「エイ」と読む。
だから、「『ア』は『a』」とかすりこまれちゃうと、正しい発音や綴りをおぼえる障碍となり、「使えない英語」が身につく可能性が高い。ローマ字を勉強させる前に綴り=発音の対応をすりこむのが得策なのだ。
「英語さえ勉強すればグローバル化に適応できるわけではない」のは当然。でも、グローバル化に適応するには、英語という道具が必要だ(少なくとも近々にグローバルビジネスにおける共通語が英語でなくなることはなかろう)。ボールを18.44m投げられたらプロ野球の投手になれるわけじゃないが、18.44m投げられないのにプロ野球の投手になれもしない。
ということで小学校からの英語必修化は歓迎しますが、中学から大学まで英語を習って結局しゃべれないききとれない結果におわった私としては、未来を担うこどもたちには「使える英語」を教えてあげてね、と切に望むのでした。
「『レ』は『re』と書く」じゃなく「『-ange』という綴りは『エインジ』と発音する」て教育を受けてれば、書店売りの雑誌に堂々と「I LOVE RENGERS!」(週刊ベースボール7.1号「テキサスPHOTOリポート」)なんて載せないから。