許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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存亡の危機

情報化社会でいわゆる「日本語の乱れ」に対する関心も広まり、いわば「ポピュラーな誤用」がwebなどですぐみつかります。
「気が置けない」「敷居が高い」「情けは人のためならず」「名前負け」「役不足」などの意味を誤って用いる誤用のほか、「押しも押されぬ」「口先三寸」「ご他聞に漏れず」「時機を得た」「斜めに構える」といった慣用句の一部を書き/いいまちがえるものもあります。<それぞれの誤用については後述。


「存亡の危機」もそうした人口(変換ミスで「人工」になっていないかご注意を)に膾炙した誤用だと思っていたら、昨今、新聞や雑誌でよくみかけます。日本語のプロたる活字媒体の記者や編集者ならこんな「よくある誤用」は知っていてしかるべき(宣伝文に「日本で最も多くの記者が使っている文章執筆のための必携書」とある共同通信社『記者ハンドブック第12版』の「誤りやすい用字用語・慣用句」にも収載)ながら、そうでもないようです。
「存」は「一 ある〈中略〉ロ 生きている」(三省堂漢和辞典第二版)、「亡」は「四 死ぬ〈中略〉五 ホロびる」(同)です。つまり「存亡」は「存在すると滅亡すると。また、のこるかほろびるか」(広辞苑第二版)を意味します。「機」は「三 機会。おり。場合」(三省堂漢和辞典第二版)なので、「存亡の機」で「存在するか滅亡するかの大切な場合」(広辞苑第二版)というわけです。
では「危機」はどんな意味かというと、「大変なことになるかも知れないあやうい時や場合。危険な状態」(同)です。
「亡」なら滅んでしまうかもしれない「危険な状態」で「危機」を使えるものの、「存」なら残りますから「危機」にはあたりません。「存亡」がかかるようなときは危機的な状態でしょうが、「のこるかほろびるかがかかった場合」のうち「場合」を表現することばとしては、「存」と「亡」のどちらにも使える中立的な「機」がふさわしいといえます。
なお、「存続が危ぶまれる状態」を表したいのであれば、「存続の危機」を用いましょう。



気が置けない
 「気をつかう必要がない」親しい間柄のことで、「気を許せない」信用できない相手ではありません。
敷居が高い
 失礼なことなどをしてしまった相手の家を訪問しづらい状況を表します。「不義理を重ねているから先生のお宅は敷居が高いよ」などと用います。高級店に入りにくいといった意味で使うのは誤用です。
情けは人のためならず
 他人に情けをかけて親切にしておくと、めぐりめぐって自分によいことが還ってくる、という意味です。「他人に情けをかけて助けてやると自立できなくなり本人のためにならない」と解する人が増えたようですが、今や「有名な誤用」なので、今後はどうなるでしょうか。
名前負け
 名前がりっぱすぎて実物が見劣りすることです。この「名前」は「負け」る本人のもの。たとえば「強豪チームとの対戦で、名前負けしてあがってしまい、試合も負けた」などと相手の名前について用いるのは誤りです。
役不足
 役者に対して役柄が不足すること、能力に対して役目が不足すること。「○○さんにこんな役不足のお仕事(つまらない役職)をお願いしてしまって」は正しい用法。「わたしでは役不足ですがおひきうけします」だと、わたしのような能力の高い者にとってはつまらない仕事だがやってやるよ、という意味になってしまいます。「わたしでは力不足ですが」なら謙遜の気持を表せます。


×押しも押されぬ ○押しも押されもせぬ/押すに押されぬ
×口先三寸 ○舌先三寸
×ご他聞に漏れず ○ご多分に洩れず
×時機を得た ○時宜を得た
×斜めに構える ○斜(しゃ)に構える  <皮肉な態度をとる意の場合。「竹刀を斜めに構える」といった具体的な体勢などはOK