許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

ずつ/づつ

「一人宛」「少し宛」などの「宛」のかな表記は「ずつ」「づつ」のどちらでしょうか。
昭和61年内閣告示「現代仮名遣い」によると、本則は「ずつ」で、「づつ」も許容されます。
つまり、宿題や試験、応募書類、ビジネス文書などでは「ずつ」を使うほうが無難ですが、「づつ」も誤りでなく、私的な文章ではどちらの表記でもかまいません。



以上が「『ずつ』と『づつ』のどちらが正しいの?」という問いに対する簡明な回答です。ただし、「正しい」をつきつめるとこれだけでは済みません。


昨今、「づつ」の使用を「糾弾」するような文章をみかけます。しかし「現代仮名遣い」は、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものであ」り、「科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで」規制を「及ぼそうとするもの」ではありません。そもそも「現代仮名遣い」の「ひとりずつ」を例示した箇所で「『じ』『ず』を用いて書くことを本則とし〈中略〉『ぢ』『づ』を用いて書くこともできる」と明記されており、既述のとおり「『づつ』は誤りでない」のです。
誤りと指弾するのでなく「『ちょうちょう』を『てふてふ』とは書かないくせに『づつ』だけ歴史的仮名遣いなのはおかしい」と批難する向きもありますが、そう単純な話でもありません。


「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の発音を区別しなくなった現代、これら「四つ仮名」の表記はなかなかの難問です。「現代仮名遣い」においてもいささか苦しい説明になっています。
「現代仮名遣い」は「語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし」ます。<文部科学省のサイトのママなんですが……「促音に用いる『つ』は、なるべく小書きにする」としてるのにどうなんだこれは。
「一方、表記の慣習を尊重して一定の特例を設け」ており、「じ」「ぢ」「ず」「づ」はこの「特例」にあたります。
そして、特例を示す「第2」の「5」で、「同音の連呼によって生じた『ぢ』『づ』」(「ちぢむ」「つづみ(鼓)」「つづく(続)」など)、「二語の連合によって生じた『ぢ』『づ』」(「はなぢ(鼻血)」「にいづま(新妻)」「かたづく」など)は「『ぢ』『づ』を用いて書く」と四つ仮名についての原則が説明されます。
これに「次のような語については、現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ『じ』『ず』を用いて書くことを本則とし〈中略〉『ぢ』『づ』を用いて書くこともできる」と続け、いわば特例のなかのさらなる特例を具体的に規定してしまったことが混乱を生みます。
「次のような語」に挙げられるのは、「ひとりずつ」のほか、「せかいじゅう(世界中)」「いなずま(稲妻)」「ときわず」「みみずく」「おとずれる(訪)」「ぬかずく」「うでずく」「くろずくめ」などです。
これらのすべてを「二語に分解しにくいもの等」(この「等」はなにを意味するのでしょう?)と感じるかどうかは人によって異なります。「みみずく」は二語に分解しにくいけれど「世界中」は分解できる、と感じる人もいるでしょう。「黒尽くめ」を二語に分解しにくいなんてとうてい思えない、という人もあるかもしれません。
「かたづく(片付く)」は二語の連合で「ぬかずく(額突く)」は二語に分解しにくいとする根拠を「現代仮名遣い」は明らかにしません。主観に基づく「特例の特例」は採用せず論理的な「同音の連呼」「二語の連合」の原則により表記するという立場に問題はないと思われます。「ぢ」「づ」にだけ歴史的仮名遣いを用いているわけではなく、「現代仮名遣い」の四つ仮名の原則にのっとって表記した「ぢ」「づ」なのです。


「ずつ/づつ」に戻ると、語源ははっきりしないものの、「『一つ』『二つ』の『つ』を重ねたもの」(Yahoo!辞書:大辞泉)という説が有力です。そうであれば「同音の連呼」ですから「づつ」のほうがしっくりきます。
また、「ひとりずつ」が二語に分解しにくいというのも無理があるのではないでしょうか。「ずつ/づつ」は副助詞に分類されます(接尾語とする説もあります)。「ひとりずつ/づつ」「少しずつ/づつ」「5個ずつ/づつ」などと用例を並べてみれば、「現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの」と感じることはなさそうです。



「ずつ」でなく「づつ」という表記には、こまやかな日本語表現のために意図して使われたものも多数あるはずです。一概に批難できるものかどうか一考してみてはいかがでしょうか。




最後になりましたが、あけましておめでとうございます。本年も当blogを覗いていただければ幸甚に存じます。