許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

報告しないよう判断し

「お詫びしたいと思います」(したいと思うだけでは詫びたことになりません。詳しくは過去の記事にて)を筆頭に昨今の曖昧表現の濫用が気になっているところへ、TVニュースで一日に何度も聞いて耳に残った表現です。
「報告しないよう判断し」。


助動詞「ようだ」は、推測、婉曲、例示、動作の目的、希望、依頼などを表します。
参事官は報告しないようだ。(「報告しない」と推測する/「報告しない」と判断したことを婉曲にいう)
参事官のように報告しない。(「報告しない」ことについて「参事官が報告しなかった」例を示す)
報告しないよう(に)お願いします。(動詞「願う」の目的語が「報告しない」こと)
報告しないように。(「報告しない」ことを希望する/依頼する)


「報告しないよう判断し」の場合、動詞「判断する」の目的語が「報告しない」ことである、と考えて「よう」(連用形「ように」の「に」を省略)を使ったのでしょう。
ただしこの用法は、
遅刻しないように早めに出発した。
ラソン大会で完走できるように練習する。
批判を招かないように報告しないと判断した。
など、未確定のものごとについて用いるのがふつうです。「ようだ」は多く推測や婉曲の意を含むため、確定したことにはそぐわないのです。
前述のTVニュースは、参事官が「報告しない」と判断し、判断のとおり報告しなかったという内容でした。「報告しなかった」と報道するからには確定した事実で推測ではありません。情報の裏付もあるようですから婉曲に表現する必要もありません。曖昧表現を使う理由はなく、ここは「報告しないと判断し」とすべきでした。
そもそも婉曲に表現しなければならない段階の情報を報道してはなりません。報道における曖昧表現の多用は視聴者/読者に情報の正確さを疑わせます。報道機関たるもの、必要十分な裏付をとった情報を、自信をもって報道してほしいものです。