許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

グローリー・シーズン

イーガンの『プランク・ダイヴ』を読んだあと、『ひとりっ子』をみつけだそうと、3月11日に本棚から雪崩をうった文庫本の山をかきわけたものの発見できず(なんと買ってなかった……)。SFだけでもふたたび本棚に収納できたのはよかったが(冒険小説とミステリはまだ山のまま)、それだけでは悔しいので、前世紀から積ん読いた『グローリー・シーズン』(デイヴィッド・ブリン著/友枝康子訳/ハヤカワ文庫SF/初版第1刷)を読むことに。
科学(化学とか物理学とか生物学とか社会学とか経済学とか)的に破綻のない、現在の人間社会から演繹可能ながら斬新な設定の未来社会を、好感のもてる主人公に波瀾万丈の冒険をさせつつていねいに描く、という、SFの醍醐味を堪能させてくれる佳作でした。個人的にはラストはもっとエンタテインメントが好かったけど、それで評価が落ちるほどでもない。
ただし20世紀のうちに読了してたほうが楽しめたのは確かで、読み止してほっぽっといたのは残念。
だって、読むのつらかったんだもん。
主人公のマイアがかわいそすぎて読めないとかゆーことではなく、読み難かった。
訳の質もあんまり良くなかったように思える(原文読んでないから断言はできない。友枝訳って『プラクティス・エフェクト』とか昔のカードしか記憶にないけど、そんな悪い印象はなかったのにな)が、なにより校閲がひどくて。
いちお名の通った出版社の書籍としてはいくらなんでもまずいでしょ、てレベル。昨今のwebサイトよりましとはいえ、基準、そこじゃないし。
書籍でも雑誌でも、印刷されて書店に並んでしまったらもう修正不能(ふつうは。『アインシュタイン その生涯と宇宙』みたいなことがなければ)。掛値なしに正直なところを申せば「誤植も体裁ミスもない本」は難しいっす。でもだからってひらきなおるわけにはいかないから、他山の石以て玉を攻むべく、文字どおり一字一句おろそかにせずお仕事したく存じます。


次に読んだ『消えた少年たち』(オースン・スコット・カード著/小尾芙佐訳/ハヤカワ文庫SF)は快調にさくさく読了。しばらく頭のなかでスティングが歌い続けたのには困りましたけども。しかし今頃『消えた少年たち』……いつか積ん読本を消化しきる日は来るのであろうか。