許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

*当blogより引用する際は出典を明記してください。

alternative facts(オルタナティブファクト)

コンウェイ米国大統領顧問がTV番組で「alternative facts」といったときには驚きました。放送通訳が「代替の事実」と訳したんだったかな? BS1の再放送で英語字幕を凝視して原語を確認し、しばし沈思黙考。


多様な価値観や考え方をうけいれることは、現代民主主義社会の基礎といえましょう。ゆえに、「真実は一つ!」と唯一の解釈に固執せず、主観的真実は人の数だけあることを容認すべきです。そして、おのれの主観的真実に囚われて一面的なものいいをしていないか省みる。真実は一つじゃない、は、独善に陥らないための警め――だと思ってました。
が。
大統領就任式に集った人数は史上最多なのだ。一目瞭然の写真があろうが、最寄駅の乗客数といったデータがあろうが、べつの事実があるのだ。
あなたはあなたの事実を信ずればよい。わたしはわたしの事実を信ずる。以上。


異なる主観的真実が衝突する場合、たがいの「真実」を主張するだけでは解決策をみいだせないため、客観的事実を基に意見をすりあわせ、おとしどころを探る必要があります。その第一歩は、双方が客観的事実に信を置くことです。主観的真実とは異なり、歩み寄りの基礎となる客観的事実は唯一のものでなくてはなりません。それぞれべつのalternative factを信じ続けていてはおりあいのつけようがない。
ただし、いまや、alternative factsに驚愕するほうが少数派なのかも。
民主主義の旗頭を自認する超大国の大統領選で、躊躇なく「alternative facts」と公言する選挙対策本部長のいる陣営が当選しちゃうんだもの。
以前から、定期購読紙やよく観るTV局によって価値観などが固定される傾向はありました。しかし現代は、個人個人にカスタマイズされたニュースが届き、感性の似たソーシャルネットワークグループ内で意見が共有される時代です。考えが偏る危険性は増したと思われます。しかも情報過多ですから、いちいち裏をとってはいられない。
主観的真実に合うalternative factsがあれば十分で、だれもが認める客観的事実は不要。


まあ「だれもが認める」は難しいかもしれませんが、測定方法が信頼できて論理的に破綻のない証拠があり、大多数がなっとくする客観的事実なら、認められるんじゃないでしょうか。
たとえば、世界の科学者のほとんどが事実だとする気候変動とか。
犬と猫のどっちが好ましいか、てな部類なら、各々の主観的真実を尊重すればいい。でも気候変動は、放置すればとりかえしがつかず、対処するには世界中の協力が不可欠だから、alternative factsを信じてる人も説得せんとならん。
みんなの意見をまとめないとみんなが困ったことになる問題はほかにもたくさんあって、主観的事実が衝突するばかりでは時間が失われるだけなので、なんとしてもおりあいをつけないといけません。
トランプ米国大統領が当選した際、就任後は過激な言動もなくなるとの観方もありました。なんといってもビジネスマンだから、と。優れたビジネスパーソンは、実施に伴う影響を考慮した実現可能な計画を立てて現場にしっかり理解させられると期待されますからね。けどどーもそーではないよーで。正しいのは「わたしの事実」で反論はすべていんちき――そうした姿勢では人々をまとめられず、米国、ひいては世界が混乱に陥っています。
このように、客観的事実を無視して主観的真実しか見ない人が権力の座に就くとマズイわけです。
わけですが、なんだか、世界中でそっちのほうが多数派なのかなぁ。
異なる主観的真実を譲らない「分断の世界」に、客観的事実を基に論理的に伝える報道や出版の出番はあるのかしら。「話せばわかる」幻想はほんとうにもろくはかなくなっていたんだ、と、現実をつきつけられてしまいました。





追記。このところよくコンウェイ顧問の上記発言が日本のTV番組でも放送されるので耳を澄ませてみたら、「fact」は複数形っぽいですね。初回ポストでは「人数は史上最多」という一つの事実、かと思って単数形にしましたが、修正。
1箇所残した単数形はわざとです。