許容される日本語

日々変化する日本語。すでに許容されたのか、まだ誤用と扱うべきなのか。徒然なるままに考えます。

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ためしにして見る

補助動詞」とは、「動詞が本来の意味と独立性を失って、他の語の下に付いて付属的な意味(断定・敬意・動作の様態など)を添えるだけのもの」(新潮国語辞典新装改訂版)です。
例として、「○○である」の「ある」、「○○している」の「いる」、「○○してください」の「ください」などが挙げられます。これらは、「在る」「居る」「下さる」の意味をまったく失ったわけではないにせよ、「○○で存在する」「○○してとどまる」「○○して与えよ」とはいいかえられず、「本来の意味と独立性を失って付属的な意味を添えるだけ」です。
このため、補助動詞は、漢字を用いずかなで書くのが一般的です。漢字は表意文字ですから意味を強く表します。「吾輩は猫で在る」では、「在」に注意が集中して「である」だとわかりにくく、読解をさまたげます。やはり「吾輩は猫である」のほうが、読みやすく理解されやすいのです。


「○○してみる」の「みる」も補助動詞です。
「○○して見る」と「みる」を漢字で書くと、「○○して(そのあとに)見る」ととられかねません。「ためしにしてみる」といった場合の「みる」は通常かな書きされます。強いこだわりでもないかぎり、漢字を使わないほうがよさそうです。
「○○していく/ゆく」の「いく/ゆく」、「○○してくる」の「くる」、「○○しておく」の「おく」なども同様です。